「私が悪いのかな」が口癖になったときの、自分の取り戻し方
浮気をされた側なのに「私に魅力がなかったから」。ひどい言葉を投げられた側なのに「私が怒らせたから」。
相談ごとを聞いていると、傷つけられた側が自分を責めているケースの多さに驚きます。もしあなたの頭の中でも「私が悪いのかな」が一日に何度も再生されているなら、この記事はそのループを少しゆるめるために書きました。
なぜ被害を受けた側が自分を責めるのか
一見不合理なこの現象には、実は理由があります。
「相手がひどい」と結論づけると、状況は自分のコントロールの外になります。相手が変わらない限り、何もできない。これは怖い。一方「私が悪い」と考えると、皮肉なことに希望が生まれるんです。私が変われば解決するかもしれない、という希望が。
つまり自責は、コントロール感を取り戻すための応急処置として機能しています。あなたが弱いからでも、事実そうだからでもなく、心が状況に対処しようとした結果です。まずそこを責めないであげてください。
「原因」と「責任」を分けて考える
ループをゆるめる考え方として、原因と責任の仕分けがあります。
たとえば、夫婦の会話が減っていたことが浮気の背景に「原因」として関わっていたとしても、浮気という手段を選んだ「責任」は選んだ本人にあります。関係の問題は二人のものでも、裏切りという解決策はひとりで選んだものです。
「私にも原因があったかもしれない」と「だから私が悪い」の間には、本当は大きな距離があります。自責のループは、この二つを一瞬で直結させてしまう。仕分けの練習は、その直結を切る作業です。
小さな練習: 親友の椅子
具体的な練習をひとつ紹介します。
自分と同じ状況の親友が目の前に座っていると想像してください。彼女が「私が悪いのかな」と言ったら、あなたは何と返しますか。
おそらく「あなたのせいじゃないよ」と、理由まで添えて言えるはずです。人は他人には公平なのに、自分にだけ検察官のように厳しい。この練習は、親友に向ける公平さを自分に振り向け直すためのものです。声に出しても、書いてもいい。ばかばかしく感じても、何度かやると「自分への言葉だけが異常に厳しい」ことに体感で気づけます。
それでもループが止まらない夜は
考え方の練習で追いつかない夜もあります。そういうときは、思考の中で戦うのをやめて、物理の力を借りてください。温かいシャワー、部屋の電気を一段暗くする、漫画でも動画でも、別の物語に強制的に頭を貸し出す。
「私が悪いのかな」は、あなたの真実ではなく、疲れた心の応急処置が長引いているだけの状態です。処置が役目を終えたら、少しずつ外していい。その最初の一歩が、「そう考えてしまう自分を責めない」ことです。